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総括
文責:旧管理者エン 2001年10月11日公開
かつてここにあったサイトは、ある疑問から湧いてきた、いくつかの理想を持って運営されていました。
そして、それらは最終的に破綻しました。その理想、それらを掲げた理由と、破綻の理由を記しておきたいと思います。
これは失敗の記録であり、不快で辛い話です。よかったことなど何一つ書いていません。決して読んで楽しい気持ちになれるものではありません。しかし、1999年当時、ゲームサイトの状況に対して、私が疑問と思ったことへの、ほぼ2年間全力を尽くして得た1つの解答です。
記しておけば、いつか誰かの参考になるかも知れないと期待し、ここに止めておきます。
もし、この文章が、かつての私が抱えていた同じ疑問をもっている人の目に触れ、それについて考える材料のひとつとなれば幸いです。
このサイトが設立される以前から、幻想水滸伝のファンサイトというのは数多くあり、幻想水滸伝が好きだった私も当然、それらを目にしていました。
そして、ある程度目にしたサイトの数が増えるにつれ、以下の疑問が湧いてきました。
1――
「なぜ、特に攻略系のサイトでは、同じデータ(=攻略本に載っているような基本データ)を掲載しているサイトが、数多くあるのだろう」
「もし、各データ収集者が、個々人でデータを収集・加工するのではなく、協力していれば、同じ労力でももっとすごいデータベースができるだろうに」2――
「ゲーム自体やキャラクターに対する感想等を掲載しているサイトでは、管理者の見解をえんえん書き連ねているだけ。そうしたサイトの掲示板等を覗いてみても、そのサイトの管理者の個人的な友達が馴れ合っているだけだ。これは、『ある一幻想水滸伝ファンのサイト』だ。」
「『幻想水滸伝に興味がある』というだけの繋がりで人が集まって、キャラに関することでも、世界観に関することでも、いろいろな意見を並べあい、幻想水滸伝への考察を深めていけるような『幻想水滸伝のファンサイト』というのは、ありえないのだろうか。」この2の見解をさらに深める具体的な経験がありますので、紹介しておきます。
かつて、私はある幻想水滸伝キャラのファンクラブだの名乗る会に名を連ねており、その会のためにいくつかのデータを提供していました。
そして、その会のあるサイトがあるサーバーの会社が倒産するという騒ぎがあり、その会の提唱者は、容量の少ない別のサーバーに移すから、提唱者自身の作品を残して、会員から預かった小説やイラスト、データ等はすべて一時公開停止する、と言い出したのです。
おいおい、それは逆だろう。仮にも幻想水滸伝のキャラクターの名を使って会員を集めて、作品を預かっている以上、自分の作品より預かり物の方の公開を優先するべきだろう。それに、いくらでもタダで即日借りられるホームページスペースのサービスがあるんだから、容量の問題なんかどうとでもなる。
そういった旨を、その会員用の掲示板に書き込みました。結果、この意見は全く受け入れられませんでした。
意見の有効性うんぬんの問題以前に、「管理者の意見に異を唱えた」ということ自体が、反発を呼んだのです。
まったく話にならないメールを何度か交わしたあと、会への定義が全く異なっていたことが、その原因でした。
私は、あくまで幻想水滸伝のキャラのファンクラブである以上、そこは、そのキャラが好きで会員に名を連ねているものが、いわば共有しているものであり、各自できる範囲でそれに協力するもの、と考えていました。
しかし、実態はそのファンクラブはその管理者の全くの私物だったのです。私物の充実のために、幻想水滸伝の名を使って人を集め、それに何らの疑問も感じない、管理者とその管理者の個人的な友達たちだったアクティブメンバーたちとのあまりの違いに失望し、最終的にはそのファンクラブを抜けました。
上記のケースも、そして1で挙げた「同じようなデータが掲載してある攻略サイトの並立」もそうですが、サイトのことをどこまでも「個人の、個人による、個人のための」というサイトと考えているのが原因でしょう。
ゲームが好きだという気持ちから書いた2次創作や感想文、ぜひ同じものが好きな人にも見てもらいたい。だからホームページを作って、サーチエンジンにもそのゲームの名で登録する――、ある意味当たり前のことですし、実際ゲーム好きによるホームページの世界はそうなっています。しかし、その現実の姿、サーチエンジンに似たようなキーワードでいくつもいくつもサイトが登録され、閲覧者はなかなか望む情報に辿りつけず、せっかく作ったサイトには閑古鳥が鳴く――それは、不合理だと思いました。
サイトを作る目的が1サイトの主になりたいとか、仲間うちでの交流のためというならともかく、作品の公開や意見の交換にあるのなら、もっと「ファンによる、ファンのための」サイトという在り方があってもいいのではないか、と考えました。
そして、ここにあった、当初「幻想水滸伝の辞典のあるサイト」を目的にしていたサイトでは、その最初の目的をほぼ達成した後、上に書いてきた疑問に対するアンチ・テーゼ的なサイトを目指すことにしました。
つまり、「1人の手に頼ることなく、その場に価値を認める人がちょっとずつ支えあって、継続していくサイト」です。そして、そのために取った手段は以下の3点。
3――
重点はあくまで、「幻想水滸伝」自体におき、他ではほぼ当然とされていた、「キャラの悪口等、他の人が読んで傷つくようなことは書かない」という方針はとりませんでした。「○○がカッコよくて好きです」という意見に「そうそう」という反応しか許されないというのは、仲間うちの会話です。そういうことをする場ならいくらでもあります。「そうは思えない。○○の××はなんかカッコ悪い」という反応がつき、それを同じ幻想水滸伝の話題として楽しめる、という姿を目指しました。(つまり「ファンのための」)
4――
そして、もう一つ、サイト運営に関して議論する場『運営会議室』を設けました。そして、私がサイトを維持できなくなったときに、そのサイトが時間をかけてつくってきたデータ集、作品、「人が集まる環境」なども消えてしまうのは合理的ではありません。当初の持ち主がいなくなっても、幻想水滸伝好きな人がいる限り、それらは価値があるはずです。
この場は私だけのものではないと示し、訪問者がサイトの運営について考え、支えていくという素地をつくることが、『運営会議室』の目的でした。(「ファンによる」)5――
個々のコンテンツの管理を、元訪問者にゆだねる。
結果は、3はまぁ成功と言ってよかったと思います。4と5は大失敗でした。
まず、3は、当初はトップページにもログを残してある、「好きだ嫌いだ投票」という形で、後に、不正続出と管理負担の増大のために各掲示板という形で、実現を目指しました。
コンセプトそのものに難癖つせる人や、「嫌いなのは仕方ないけど、『死ね』とか『うざい』という言い方はどうも…」などという人は絶えませんでしたでしたが、「好きなキャラが嫌いと言われても、意見は意見として楽しめる」という人も現れました。
しかし、どうしても、そこから、意見の違う者同士が意見を交換しあう環境というのは、なかなか根付きませんでした。違う意見の持ち主同士の意見を並べられる形のコンテンツも、いろいろと考えたのですが、自分の意見を言い合うという段階に止まり、自分の意見を、訂正なり、深化させるまでにはいきませんでした。
ただ、私が見た限りではというだけで、特に後半ではすべての掲示板のすべての記事に目を通す時間はありませんでしたし、まして、読むだけの人がどう感じたかまではわからず、何とも言えません。
4は、まず、本来期待していたサイトを充実させる前向きな提案はほとんどありませんでした。
大半は、現状への不満点と問題点の指摘で、新しいコンテンツを産むための議論をした記憶など、ごくわずか。純粋に管理に携わらない人から、「こういうことしてみよう」という提案は全くありませんでした。
そして、意見を言い合うだけで、自分の意見を訂正・深化させることはないという現象が、最悪の形で現れました。
運営にまで口を出すような人は、この場が気に入っている人で、また、口先だけではなく自分の意見の実現のためには、行動もしてくれるだろう、という見通しがあったのですが――あまりにも人が良すぎました。
意見は言い、反論は受け付けず、いつまでも食らいついてくる。しかも口だけで自分では動かない。そういう人が続出しました。
それも、サイトを充実させる前向きな提案ではなく、サイトのコンセプトから、果てには私の言葉遣いにまで、いちいち口を出し、決して納得しないのだから、大変です。聞ける話ならともかく、信念や深く考えた結果に基づいてやっていることに対しては、譲ることもできません。
正義とか信念というのは、人それぞれで決して相容れないこともあるので、理解し合えないのは仕方がないこともあります。
サイト自体のコンセプトに納得できないのなら、とうぞここにはこだわることなく、別のサイトに行ってください、という言葉すら通じません。そんなにこのサイトが気に入ってて、(その当時)ここを支えている者をそこまで否定するのなら、代わりにここを支えていってくれるのかというと、実際こうして閉鎖されてしまっていることが示すように、そういうわけでもありません。
最後には、そうした相手への応対に追われ、本来の更新が全くできない状態となっていました。
まさに、オープンさに付け込まれた形です。
そして5ですが、必要になったときに募集し、応募した人にそのまま任せるという方法を取り、また私自身「私個人の存在に重点を置きたくない」という考えから、必要以上のことで連絡を取らなかったため、各管理者のことがほとんど何もわからないということになりました。
その結果、言ったことをやらない人、当初任されたことすらやらない人に苦しめられました。ほとんどのコンテンツで、個々の管理者を置く前と後で、私の負担が変わらないという結果となりました。
また、請け負ったコンテンツをよりよくしていこうという動きはほとんど見られませんでした。(1例ですが、創作系作品検索と、トップ絵の項目には私が描いたものしか登録されていません。複数人でトップ絵を描き、過去の絵は個々人のプロフィール部分に残す、ということになったものの、それではせっかくの絵も、トップでの出番が終わった後には、なかなか見たい人が気づかないだろう。だからこっちにも登録してくれないかと提案したんですが、多少『いいかも』という反応があった後、…このありさまです。かといって無用意見は聞いてません。)
私はあまりに「知らない人」の善意や責任感を期待しずぎていた。「1人の手に頼ることなく、その場に価値を認める人がちょっとずつ支えあって、継続していくサイト」というのは、ありえない。
個人的な繋がりのない場では、人は簡単に無責任になり、身勝手になり、周囲を省みなくなる。
残念ながら、これが2年近くサイトを運営してきた結論です。当初のゲームサイトの現状に対する「これでいいんだろうか」という思いは変わりませんが、ではどうすればいいかというとなると、もはや私には、教育や道徳の分野の話になるだろう、としか言えません。
追記 2001年11月7日
『やさしさの精神病理』 大平健 著 岩波新書 No.409 1995年
総括に書いた、幻想水滸伝(に限ったことでもないが…)のファンによるサイトに対して疑問や、ここにあったサイトでかつて、私が手を焼いた現象の一部(意見が出ない、言ったことをやらない等)。それらを、最近読んだ上記の本、そこに書かれている、『ねじれた』『新しい』『ぬるい』と形容される“やさしさ”が原因となっていると考えれば、かなりの部分説明がつきます。
読みやすくて面白く、ちょっと長い通勤通学されている方なら、電車・バスの中でも読めてしまうくらいですので、興味のある方はぜひ一読を。